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このレビューはネタバレを含みます。 鬼才オーソン・ウェルズ監督の「オーソン・ウェルズのフェイク」は、魔術師に扮したウェルズが、虚実を織り混ぜながら様々なエピソードを紹介していく、一種のフィルム・エッセイだ。一流画家の本物の絵以上にうまく絵を描くことができる、とうそぶく贋作作家のエルミア、本人の了承なしにハワード・ヒューズのニセ自伝を書いたアーヴィングなど、ペテン師どもが舌戦を繰り広げる。今さら言うまでもなく、オーソン・ウェルズほど、作品の中に自らの足跡を強烈に刻みつけていった映画作家はいないだろう。たとえ、「偉大なるアンバーソン家の人々」や「恐怖の旅路」「黒い罠」などのように、作品の編集権を製作者に奪われ、オリジナル版をズタズタにカットされたり、彼の意に染まないシーンを勝手に付け加えられようとも、ウェルズの作品には、どれも拭い難く彼の名前が深く刻印されている。また、彼が俳優や声優として参加した他の監督作品においても、彼の圧倒的な存在感は、映画の主役を自然と攫い取ってしまっている。この作品にしても事情は同様で、ウェルズは、フランソワ・レシャンバックの撮ったTVドキュメンタリーを基に、それに省略、削除、交換、加筆などの処置を施して話を再構築し、最終的には紛れもないウェルズ本人の署名を刻みつけた作品に仕上げていると思う。つまり、ここでの彼は、他人の体内に侵入して、その体を構成する個々の細胞を破壊したり、組み換えたり、あるいは、増殖させて、結果的には自分の都合のいい体に作り変えてしまうウイルスのような活動を行なっているのだ。そして、彼の署名を識別するものは一体何かというと、それは文字通り、Orson Wellesという名の頭文字に相当するOでありWである、と言えるのではないだろうか。すなわち、Oとはその形が示すように、内実を欠いたまま膨らんだ球のことであり、Wとはダブル、つまり複製=模像のことだ。どこまでも留まることなく膨張し続けた彼の球体的体躯が、前者を端的に示しているし、後者は、「上海から来た女」の、あの有名な鏡のシーンにその最良の例を見い出すことができる。あるいはここで、決して等身大の姿を曝け出すことなく、妙に自信たっぷりとダブル・オア・ナッシングの賭けに挑戦するペテン師の姿を連想しても構わないと思うが、ただし、観る側がそうした二者択一の賭けに真剣に応じてしまっては、それこそペテン師の思うつぼというものだ。この映画のうち、どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか、あるいは、芸術作品のオリジナルとコピーとではどちらに軍配が上げられるのか、といった問題に境界線を引く事はどうでもいいわけで、観ている我々も、作品の中にゲスト出演しているピカソのように、じっと眼を見開いて、オーソン・ウェルズが仕組んだフェイク(嘘話)の魔術を楽しめば、それで十分だろう。 >> 続きを読む
2019/02/13 by dreamer
「オーソン・ウェルズのフェイク」のレビュー
久々に、イングリッシュアドベンチャーを思い出しました。音源は聞いたことが有りませんが、超訳シリーズは何冊も読んだものです。 >> 続きを読む
2019/02/15 by ice
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オーソン・ウェルズのフェイク オーソンウェルズノフェイク 映画 「オーソン・ウェルズのフェイク」 | 映画ログ
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