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魚影の群れ

The Big Catch
ジャンル: 日本映画 , ドラマ
公開: 1983/10/29
監督:
製作国: 日本
配給: 松竹富士

    魚影の群れ の映画レビュー (最新順)

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    全2件
    • 4.0 切ない

      ネタバレ   このレビューはネタバレを含みます。
      "滅びゆく日本の男の心情を嗜虐的ともいえる死の残酷さと、それに対峙する生への執念として描いた佳作"

      この「魚影の群れ」は、吉村昭の同名小説の映画化作品ですが、吉村昭は私の大好きな作家のひとりで、昭和41年の「星への旅」で太宰治賞、昭和48年の「戦艦武蔵」で菊池寛賞、昭和54年の「ふおん・しいぼるとの娘」で吉川英治文学賞を受賞していますが、彼の作品の一貫しているテーマは、"人間の異常さへの興味であり、人間を極限状態に追い込んで、それを見据えようとする"ところにあると思います。

      そこには、嗜虐的ともいえる死の残酷さと、それに対峙する生への執念とが、不思議な程の詩的な美しさで描かれています。そこが、彼が描く作品にいつも詩情を漂わせ、"男の心情"を掘り起こさせているのだと思えてなりません。

      そして、この映画の監督は「セーラー服と機関銃」、「ションベン・ライダー」などの映画で斬新な映像表現が得意な相米慎二監督ですが、彼の得意とするのは、カメラをロングに据えたワン・シーン=ワン・カットの長回しであり、この映画でも彼のその特異な手法が存分に発揮されていて、終始、映像の魔術ともいえる表現をワクワクしながら観る事が出来ました。

      映画のオープニングの海から砂丘へのシーン、中盤の別れた妻を追う雨中のシーンなど、延々となめるように凝視し続けるカメラには、背景の広がりと、男女の心の揺れ動きがそのままに切れる事なく、自由な流動感をもって展開していて、まさに見事の一言に尽きます。

      相米監督はそれまでのどちらかというと、若者向けの映画ではなく、大人の鑑賞に耐え得るこの映画で、初めてその執念を発揮出来たのではないかと思います。

      その独特な撮影手法に固執する相米監督は、この映画の主人公と同じく、自分にこだわる男であり、また原作者の吉村昭と同じく、出演俳優を極限状態に追い込んで撮影しています。

      相米監督は、この映画の演出の意図として、「"魚影の群れ"には、様々な"別れ"がさりげなく、しかも、ドラマチックに描かれています。そしてこの作品の"別れ"には、常に海という大自然が介在します。"魚影の群れ"で描かれている海は、ロマネスクなものではなく、神秘と怖れを人間に強いる存在として描かれています。そのなかで、それぞれの人生が交錯し、火花を散らし、想い、よどみ、哀しみ、絶望の淵に立ち、そして希望の水平線を目指します。"魚影の群れ"は大海原の孤舟に立ってみつめる、愛と闘いのドラマです」と情念を込めて語っています。

      考えてみれば、海というものは、片々たる人の愛情や希望というものから隔絶した荒々しい無情とも言える自然であり、そこに潜む"魚影の群れ"には、あたかも潜水艦の放つ魚雷のような、不気味な殺意が満ちているような気がします。

      この吉村昭の原作は、その苛烈なテーマと壮大なスケールのため映像化は困難だと言われていましたが、「ツィゴイネルワイゼン」(鈴木清順監督)を手掛けた田中陽造の脚本によって映画化が実現出来たとも言えます。
      「ツィゴイネルワイゼン」は、かなり難解な映画で、その高い評価には疑問を覚えましたが、田中陽造の脚本家としての実力は、むしろ、この「魚影の群れ」で、より自在に発揮されていると思いますし、原作に追加した部分が混然一体となって、作品としての幅をより広げたのではないかと思います。

      大物マグロだけの一本釣りを狙う頑固一徹な海の男、房次郎を演じる緒形拳は、その性格のために、妻のアヤ(十朱幸代)にも娘の登喜子(夏目雅子)にも去られてしまいますが、なお孤独に耐えてマグロと闘い続けるという物語ですが、「鬼畜」、「復讐するは我にあり」、「楢山節考」に続いて魂のこもった熱演をする緒形拳は、滅びゆく日本の男の心情を猛々しく、尚且つ繊細に演じていて、本物の役者の演技の凄みを感じさせます。

      また、夏目雅子は相米監督に、"ぬけがらになるまで"徹底的にしぼられたという事ですが、張りのある実に良い演技を示していて、彼女の女優根性には今観ても、あらためて凄い女優だったんだなと感心させられます。十朱幸代も女性らしい情感溢れる演技を示していて、この映画にある種の潤いを与えていたように思います。
                        
      ただ、夏目雅子の相手役の俊一役の佐藤浩市に男の意地といったものが少しも感じられなかったのが少し残念でした。また、映画の画面から本州の最北端の下北半島の漁港の大間町を舞台にした現地ロケの大変な苦労がひしひしと伝わってきますが、その地方の方言をそのまま使っているため、外国語以上にわからないセリフが多すぎたように思います。字幕を入れるわけにもいかないので、せめて一般の我々観客にも最低限わかる程度の配慮・工夫が欲しかったような気がします。

      映画のラストで、房次郎に助けられた俊一が、その腕の中で死んでいくというシーンになりますが、原作の方はこの内容と大きく違っていて、遥かに峻厳で、それだけに原作と同じように映画化出来なかったのは、ある意味、止むを得ない事だったのではないかと思います。

      では、そのあまりにも凄すぎる原作ではどう描かれていたかというと、北海道で漂流している漁船が発見され、その中には半ば白骨化した遺体が横たわっていました。それは1カ月も前に行方不明になっていた漁師の俊一の変わり果てた姿でした。登喜子はそんな彼を見て倒れます。そして、船には長い釣り糸が垂れたままになっていました。それを引き揚げた先端に付いていたのは、3メートルを超す巨大マグロの白い骨でした。マグロを追い続けた俊一は、房次郎と同じく釣り糸を放さなかったのです。俊一も死に、マグロも死んで、そして共に白骨となったのでした。

      そして、原作は次のようにして終わります。「房次郎は、海に眼を向けた。洋上を白骨化した俊一をのせた船が、魚骨をひいて漂い流れる光景が思い描かれた。かれは、吏員に深く頭をさげて礼を言うと町の家並の方へ歩いて行った。」
      >> 続きを読む

      2016/03/10 by dreamer

      「魚影の群れ」のレビュー

    • 2.0

      とにかく方言がわからん。描きたいこと自体わからん

      2015/11/08 by kaiteru

      「魚影の群れ」のレビュー

    魚影の群れ
    ギョエイノムレ

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